選ぶということ

一人暮らしを始めてから一年が経った。

 

当たり前なのだけれど、部屋の中は自分で選んだ物ばかり。

人からもらったものであっても、ここに置くと決めたのは自分だ。

 

実家の自分の部屋を思い出してみると、自分で選んだ物は少ない。

特に家具は、大きくて高価なものだから親が選んだ物、お金を出すのは自分ではなかったから決定権が自分にはなかったものが多い。

 

実家の部屋の物はあまり納得いってない物が多いなと思う。

机やベッドはもっと違うデザインが良かったなとか、カーペットも変えたいな、とか。

 

対して一人暮らしの部屋の物はけっこう悩んで自分で決めた物しかないので、全部が好きだ。

テレビ台の組み立ての時にうまくはめられなかった箇所もあったけど、それも自分でやったことだから納得している。

 

そういう、うまくいかなかった、失敗したなぁという体験も含めて選ぶということ、自由ということなのだ。

 

私はyoutubeのエハラ家チャンネルが好きでよく見るのだけれど、見ていると江原さん夫婦は子ども達自身に選ばせるという場面がよく見られる。

自分が選んだことに対して後悔したとしても、それも含めて自分の責任。

自分で選んだのだからしょうがないでしょ?と。

 

子どもの頃からこうやって、自分で選ぶということは自分の人生を主体的に向かっていくには必要なことのように思う。 

 

 

 

クリパルヨガは選択肢が多い。

必ずこうしてくださいと伝えることが、他の流派と比べるととても少ないと思う。

きっとそれが不安、冷たく突き放された印象を受ける人もいるだろう。

 

 

先日、クリパル・ジャパンで行われた「クリパルヨガは自由なヨガですか?」という講座を受けた。(録画で参加)

そこでもクリパルヨガの選択肢の豊かさについて話していた。

 

そして、自分のことがよく分かってないと選べないよね、ということも。

 

 

クリパルヨガは自己探求のヨガとも言われている。

自分の内側へと意識を集中させ、

今どんな感じ? 

今自分の中で何が起きている?

どうしたい?

 

たくさんの問いを自分の中で続ける。

 

そしてそのままを受け取ってく。

 

 

それはマットの上だけでなくて、日常的にもつながっていくことだ。

 

 

選ぶのが苦手という人はきっと多いと思う。

だけど、人生は選択の連続で、その繰り返しの中で自分という人間ができていく。

 

明確な正しさがない選択肢の中で、いかに自分が納得し選ぶことができるのか、

常に探って自分を知って選んでいこう。

 

 

 

大変な年だったとは言うけれど

今年は大変な年だったと色んな人が挨拶代わりに言うけれど、きっとそうでなかった人もいると思う。いつもとそんな変わらないと感じている人だっているかもしれないし、大きな喜びがあった人だっているはずだ。

 

みんなが大変な思いをしているのに、自分はそう感じていないのは何か悪いことのように感じる人って多いと思う。

本当はそんなこと思う必要もないと思うけど、私も、みんなと同じように感じてないことは罪悪感があったりする。

 

 

私にとっては大変な年ではあったけれど、

ヨガの道を進み続けること、持続可能な、ビジネスとしてのヨガはどうやっていこうかなどとても考えた年だった。

 

休講になったり、生徒も思うように集まらなかったりで、教師としてのモチベーションを保つのが難しいと感じることもあったけど、それでも来てくれる生徒たちを目の前にすると、そういう厳しい状況だというのは関係ないことのように感じた。

ただそれぞれの人に伝え、それぞれを力づけていきたいと思った。

 

集客がとっても大事なことだとは分かるけど、

集めることに必死で内容が自分の思う方向に向かわないのは避けたいし、

ただ心地よさだけを求めるのもしたくないし、

だから誰かに助言されたとしても、人集めのために内容を変えたりするのはやめようと決めた。

 

人数の多さではなくて、それぞれの人生に大きく長く深く関わっていくことに責任を持ち、自分の言葉で伝え続けようと思った。

 

 

私の移動手段は自転車で、それを伝えるとえー大変だね!とかだいたいそんな反応をされるけど、私はけっこう自転車が好きだ。

季節をもろに感じるし、自分の力で前に進むというのはなんか生きているって感じがする。雨が降ったらカッパを着ればいいし、濡れたら乾かせばいい。

 

自分ではそんな大変だと思っていないのに、えー大変だね!と言われることが嫌で、この話をするのが嫌になってきた。

 

同じ状況にいるみんなが同じような感想を抱くとは限らないのに、

ある人にとっては大変なことが、ある人にとってはそうではないかもしれないのに、

同じように感じているだろうと予測するのはどうなんだろう。

 

その人のことを否定しているかもしれない。

 

クリパルヨガを伝えているといつもそんなことを思う。

同じタイミング、長さで呼吸をする必要はないし、むしろ違って当たり前だし、

同じように動き同じ形になる必要もないし、むしろ完全に同じだったらそれは人間ではないと思うし、

みんな違うって、違っていいんだって教えてくれたのはクリパルヨガだった。

 

そして、あー私は他の人と違う、うまくできないって感じても、

目を逸らさずに留まっていられるのもクリパルヨガのおかげだと日々思う。

クリパルヨガを初めて受けた日

 

あの日のことは今でも鮮明に覚えているくらい、私にとっては衝撃的な体験だった。

 

クリパルの人は「体験」という言葉をよく使うけど、まさにこれは身体で感じた、体験だった。

 

 

3つめのヨガ教室となる所で初めてクリパルヨガを受けた。

 

新潟にいる時は自分で選べるほどヨガ教室がなく、流派もそんなになかったので、京都でいろいろな先生、流派を受けれたのは楽しかったし、

いま改めて考えると、自分がどの流派を選ぶか、実際受ける中で考えられたのは良かった。

 

たまたまスケジュールが合って、クリパルヨガを受けてみた。

 

何度も「目を閉じて」と言われて、実際目を閉じてやってみると、自分が今までどれだけ先生や周りの人の目を気にしながらヨガをしていたのか気づいた。

 

他の人よりどれだけ足が高く上げられるか、綺麗な形になれるかばかり考えていたと思う。

 

目を閉じたらもちろん周りは見えなくなる。

そうすると自然と自分の身体の感覚、呼吸に意識がいく。

 

簡単で単純なポーズでも、とても集中していたと思う。

 

 

終わった後、すごく元気になっていた。

仕事のストレスがすごかったので、尚更感じたのかもしれない。

 

自分の強さを感じて、自分の中からエネルギーが湧いてくるのを感じた。

 

帰り道、すぐクリパルヨガについて調べて、本も買った。

(本は先生向けだったので、その時は結局あまり読まなかったが今は熟読している)

 

他にも何人かの先生、流派を受けたけど、もし自分が教える側になるのなら、自分の体験からクリパルヨガを伝えたいと思うようになった。

 

先生もいい意味で人間味があって、同じ人間だと思った。

(朝が苦手だから昼過ぎのクラスしかしないと言ってたのも、正直でめちゃくちゃいいと思った)

 

この体験は今、自分がクリパルヨガを伝える時の源になっている。

 

あの時の私と同じように、潜在的にクリパルヨガを必要としている人はきっといっぱいいる。

多くの人は救えないけど、本当に一人でもいいから救えたらいいなと日々思っている。

きっかけ

 

きっかけはなんですか?

 

というのは定番の質問だが、答えに困る。

衝動的に何かするタイプでないから尚更なのかもしれないが、何かを始める時に一つしか理由がない時がほぼない。

 

大学生の時に朝活をしていた時もよくされた質問だったが、その日の気分や相手によって答え方を変えていた。

 

 

今、ヨガのイントラになろうと思ったきっかけを聞かれたら、

バレエやダンスをやっていて、それらを活かす仕事に就きたかったから

と答えている。

 

そうすれば端的に説明できて、万人が納得できる、理由らしい理由。

 

それは嘘ではない。

それもきっかけの一つではある。

 

だけど、はっきりと、ヨガのインストラクターを目指そうと決めたのは西表島にリトリートに行ったときだった。

 

 

京都のヨガ教室で主催していたリトリートに参加してみることにした。

京都に住んだのは1年半くらいで、だいたい短いねと言われるけど、私にとっては濃い期間だった。

 

いる間に通うヨガ教室を3回変えた。

2つめの教室となったそこは、リトリートに参加するために通った。

 

1つめの教室がしっくりこず、違うところを探していた時にそこの教室とリトリートを見つけた。

 

リトリートなるものに行ってみたかった。

参加したのは単純にそんな理由。

 

 

あの頃は仕事が忙しく、前々から休み希望を伝えていたのに、仕事の大事な予定がかぶってきた。

正社員ではなかったし、怒られるの承知で無理やり行った。

 

こういう「行くべき」みたいな直感は強い方だと思う。

 

 

出発の直前まで、深夜に及ぶ仕事を続けてきたため、リトリート中は熱を出して寝込んでしまった。

半分くらいの日程を無駄にした。

 

朝夜のヨガレッスンが受けられたけど、それも半分くらいしか出れなかった。

だけど、南国で寝込んでいるだけで幸せだった。

(テレビ番組がほぼ沖縄のしか見れなかったのはストレスだったけど)

 

病み上がりでヨガに参加すると、シャバアーサナで完全に寝てしまっていた。

本当に先生にトントンされるまで起きなかった。

頭で考えるより、身体はよく自分のことを分かっている。

 

こんな無茶苦茶な生活、やめるべきなんだ。

 

ここまで身体と心を疲れさせてしまったことに「ごめんね」と思った。

丈夫な身体のはずなのに、こんな状態にさせてしまったと気づき、今の生活を変えよう、近いうちに仕事を辞めようと決めた。

 

そしてこんな大事なことに気づかせてくれるヨガってすごい、これを伝える側になりたい、と思った。

 

それがヨガのインストラクターを目指したきっかけです。

 

でもこれはクリパルヨガに出会う前。

 

どこでティーチャートレーニングを受けるのかはめちゃくちゃ大事だと思うので、また書きます。

 

 

 

今思うこと

コロナ禍の今、世の中は日々変化し内観する時間も増えている。

 

クリパル・ジャパンのスタジオが閉鎖するらしい。

「らしい」と思うのはまだ実感がないからだと思う。

オンラインでは続いていくそうだが、場がないということがどういうことなのか私にはよく分からない。

 

あの下北沢のスタジオで私はいつも自分を見つめ、自分の伝えたいヨガについて考え、新潟に帰ってもいつもあのホームに帰りたいと思うようになった。

 

特に3月は個人的につらかったが、マタニティヨガのトレーニング中で、下北沢のスタジオで安心で守られた場所でヨガと向き合う日々に救われた。

 

そんな私のホームがなくなる。

大丈夫、完全になくなるわけではないから、変化の過程の一つだから

 

そうは言ってもやっぱりやるせない気持ちにもなる。

この状況を乗り越えたら、また下北沢に帰ってあのスタジオでクリパルヨガにどっぷり浸かる。

それを楽しみにしていたのに。

 

 

多くを変えてしまったずっと続いているこの状況。

 

まぁでも失ったことばかりではない。

私はずっとクリパルヨガを伝え続けたいのだと改めて気づいた。

 

20代は何者かになりたくていつももがいていたように思う。

転職したり京都に行ったり、そこでクリパルヨガに出会ったりして、

やっと自分の道が見つかったと日々思う。

 

30歳までには、と思っていたのがぎりぎり間に合った。

 

周りからみたら超スローペースでもいいから、ずっとクリパルヨガを伝えていきたい。

私が救われたように、本当に少人数でもいいから必要としている人に届け続けたい。

 

だから世の中的には変動の年でも、私にとっては安定して日々過ごせるようにする、土台作りの年のような感じが強い。

 

ヨガイントラとしては2年目だから、クラスをもっと増やしたいと思っていたが状況的には難しい。

だから今はいてくれている人を大事にしたいと思う。

日々わたしのヨガを受け続けてくれる一人一人を大事にしたい。

 

今はそう思う。

ブログを始めました。

ブログをやるかどうか、ずっと迷っていましたが、より多くの人に届けられように始めることにしました。
 
ホームページを作ってまずしたのは、今わたしのヨガを受けている人に向けてのクローズドな場を作ること。
LINE公式アカウントにて伝えることにしました。
 
ブログってずっと残るし、あとから見返して恥ずかしくなるし、間違ったこと言ってたら嫌だし~とかぐだぐだ考えていました。
 
だけどより多くの人にクリパルヨガについて知ってもらい、実際受けてもらうためには必要なことだと思い、始めることにしました。
 
*自己紹介的なものはホームページをご覧ください
*LINE友だち追加は、レッスンをいつか受けてみたいと思っている方はぜひしてください
インスタは個人的なこと、頻度は少なめです(たぶんブログと同じくらいの頻度)
 
 
末永く続けていきたいのでペース的にはのんびりかもしれませんが、よろしくお願いします。