大変な年だったとは言うけれど

今年は大変な年だったと色んな人が挨拶代わりに言うけれど、きっとそうでなかった人もいると思う。いつもとそんな変わらないと感じている人だっているかもしれないし、大きな喜びがあった人だっているはずだ。

 

みんなが大変な思いをしているのに、自分はそう感じていないのは何か悪いことのように感じる人って多いと思う。

本当はそんなこと思う必要もないと思うけど、私も、みんなと同じように感じてないことは罪悪感があったりする。

 

 

私にとっては大変な年ではあったけれど、

ヨガの道を進み続けること、持続可能な、ビジネスとしてのヨガはどうやっていこうかなどとても考えた年だった。

 

休講になったり、生徒も思うように集まらなかったりで、教師としてのモチベーションを保つのが難しいと感じることもあったけど、それでも来てくれる生徒たちを目の前にすると、そういう厳しい状況だというのは関係ないことのように感じた。

ただそれぞれの人に伝え、それぞれを力づけていきたいと思った。

 

集客がとっても大事なことだとは分かるけど、

集めることに必死で内容が自分の思う方向に向かわないのは避けたいし、

ただ心地よさだけを求めるのもしたくないし、

だから誰かに助言されたとしても、人集めのために内容を変えたりするのはやめようと決めた。

 

人数の多さではなくて、それぞれの人生に大きく長く深く関わっていくことに責任を持ち、自分の言葉で伝え続けようと思った。

 

 

私の移動手段は自転車で、それを伝えるとえー大変だね!とかだいたいそんな反応をされるけど、私はけっこう自転車が好きだ。

季節をもろに感じるし、自分の力で前に進むというのはなんか生きているって感じがする。雨が降ったらカッパを着ればいいし、濡れたら乾かせばいい。

 

自分ではそんな大変だと思っていないのに、えー大変だね!と言われることが嫌で、この話をするのが嫌になってきた。

 

同じ状況にいるみんなが同じような感想を抱くとは限らないのに、

ある人にとっては大変なことが、ある人にとってはそうではないかもしれないのに、

同じように感じているだろうと予測するのはどうなんだろう。

 

その人のことを否定しているかもしれない。

 

クリパルヨガを伝えているといつもそんなことを思う。

同じタイミング、長さで呼吸をする必要はないし、むしろ違って当たり前だし、

同じように動き同じ形になる必要もないし、むしろ完全に同じだったらそれは人間ではないと思うし、

みんな違うって、違っていいんだって教えてくれたのはクリパルヨガだった。

 

そして、あー私は他の人と違う、うまくできないって感じても、

目を逸らさずに留まっていられるのもクリパルヨガのおかげだと日々思う。